土佐弁劇場|わかる、残す、高知の言葉

キャラクター紹介

黒岩涙香(くろいわ るいこう) 1862〜1920
当時、日本で最も発行部数が多かった「萬朝報」を創刊し、政府の汚職問題などを激しく糾弾した。この新聞は文化人のみを対象とせず、涙香執筆の翻訳小説や3面記事を多く乗せている。翻訳家としても有名で「巌窟王」「嗚呼無情」などの代表作がある。

中江兆民(なかえ ちょうみん)1847〜1901
フランスの思想家ルソーを日本で始めてしらせ、その教えを伝えることに尽力したことから東洋のルソーとよばれている。「東洋自由新聞」を発刊し、ユーモアと風刺を交えた思想家として活躍した。

板垣退助(いたがき たいすけ)1837〜1919
青年時代に吉田東洋の私塾で学び討幕運動に参加。戊辰戦争では指揮官として活躍し自由党総理となるが征韓論に敗れて辞職。林有造らと共に立志社を創設し、自由民権運動を展開した。日本初の全国的な政党自由党を明治14年に結成し、憲法発布・国会開設へ尽力している。岐阜での遊説の際に刺客に襲われ「板垣死すとも自由は死せず」といった名句を残している。

片岡健吉(かたおか けんきち)1843〜1903
明治4年にイギリスへ留学し、市民平等の精神を学び開眼。征韓論で下野し板垣退助らとともに立志社を創設し社長となった。暴力ではなく言論で自由を主張するため、立志社から国会開設を願った建白書「民撰議員設立の建白書」を提出した。国会開設時には衆議院へ当選し議長となる、また同志社学長などへも就任している。

楠瀬喜多(くすのせ きた)1836〜1920
板垣退助達の自由民権運動に参加をしたただ一人の女性と言われる。夫亡き後、選挙への投票を拒否された事から、その権利を要求し、日本における女性参政運動の先駆者となった。

純信(じゅんしん)1829〜不明
「土佐の高知のはりまや橋でぼんさんかんざし買うを見た」の主人公。五台山竹林寺脇寺の住職であった。お馬と恋に落ち駆け落ちをしたが、琴平近くで捕まり、高知城下に連れ戻された後に、土佐国外に追放された。

お馬(おうま)1839〜1898
「土佐の高知のはりまや橋でぼんさんかんざし買うを見た」の主人公。五台山鋳掛屋の娘。純信と駆け落ちをしたが、叶わず。高知城外に追放(当初は現安田町、後に現須崎市)された。

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平成17年度 子どもゆめ基金(独立行政法人国立オリンピック記念青少年総合センター)助成活動
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